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生活者として)わからないので、ちょっと待ってください、といいましょう。

2006/07/16(日)



表紙

 自分のことだもの、真剣に考えましょう。「わからないので、ちょっと待ってください」といいましょう。

 最近、よい本を読みました。『世界はなぜ仲良くできないの?――暴力の連鎖を解くために』というタイトルで、竹中千春さんという明治学院大の先生の本です(2004年、阪急コミュニケーションズ刊)。

 紹介します。主権者として、例えばイラクに自衛隊を派遣することをどう考えるか、という例で、この本のしめくくりの部分です。

 自分の村にゴミ処分場計画が来ているというのに、他人ごとのように簡単に決断してしまう、不十分な説明で納得させられてしまう村人たち。生活者として、自分の足もとのことだから、充分考えてほしいと思います。

 今回のゴミ処分場の問題では、「現在の処分場が満杯になるので、もう時間がない」という山口市環境部の説明や、「よくわからないから、決められないという」発言に対して「あんたは反対派かの」と決めつけるような言い方をする長老(ある国際電話の記録、をご覧下さい)がいます。

 ここにあるのは、まさに

 人を操ろうとする人は「これしか選択肢はない」「時間がない」と脅します。

 という竹中さんの指摘そのもののやり方です。ふしの川清流の会のメンバーには、はっきりした反対というよりは、次のような立場をとる人もいます。つまり、充分な説明がないので、納得ができません。判断ができるだけの充分な情報を下さい。それなしに、賛成しろと言われてもそれは無理です。という立場です。

 例えば、処分されて出てくる水質は?迷惑施設を受け入れることによる見返りはあるのか?といった質問に、充分に答えていただけないので、判断できない、という立場です。


 以下は、『世界はなぜ仲良くできないの?』からの引用です(242〜247頁)。



 どうしたらよいかという答えを追られたとき、まだ自分の意見が決まっていなかったら、「わからないのでちょっと待ってください」と言ってください。自分の言葉で考える、自分で判断するということの条件は、この「わからないのでちょっと待ってください」という言葉にかかっています。

 そう言うには勇気が要りますね。わかるまでは簡単に人の言うなりになりませんよ、という姿勢をとることになるからです。そうすると、「間に合わないぞ、取り残されるぞ」という圧力がかかってきます。みんなが賛成しているのに、何で一人だけわがままを言うんだ、と非難されるかもしれません。簡単に無視されるかもしれません。

 でも、ちょっと考えてみましょう。よく知らない他人の問題については、「そうだ、そうではない」とあっさり答えを出すのに、自分の問題については、ずいぶん悩みます。なぜなら、結果が幾通りも予想されて、決断に戸惑うからです。そんなに悩んだ後に決断したのなら、後の責任を自分で引き受ける覚悟も芽生えます。「どの高校に行くか、大学は理科系か文化系か」といった問いにも、悩んだ経験はあるでしょう。それは、「自分の問題」として悩んでいる証拠です。

 ですから、憲法九条はどうだ、自衛隊の派遣はどうだ、という議論でも、結論を待ってもらってよいのです。他人事なら簡単に答えてしまうこともできますが、「自分の問題」ならば、結果を自分で引き受けるのですから、悩むべきです。政治や国際政治の問題を、「自分の問題」として考えるということです。絶対に正しいという答えはありませんが、みんなで知恵を出し合い、適切な解答を見つけ出す――これが民主主義です。まず、自分の答えを自分で見つけることです。緊張しますね。けれども、そうした決断は、責任感をもたらします。

 人を操ろうとする人は「これしか選択肢はない」「時間がない」と脅します。たとえば、交通事故か火事のような一瞬の緊急事態であれば、説明の時間を惜しんで、親は子どもにこういう言い方をするかもしれません。「黙ってこうしなさい」「時間がない」から、と。けれども、民主主義の政治は、親子の関係ではありません。一人一人の国民に選択権があります。八○歳の政治家と二〇歳の若者でも、両者は対等です。ですから、若かろうが、女だろうが、国民としてしっかり、ゆっくり考えてよいのです。「これしか選択肢はない」「時間がない」というのは、そのような自由な思考を封じる言葉だと思っても、ほぼ間違いありません。

 「イラクに自衛隊を派遣するしかありません」「国際社会の責任ある国として、米軍と協力するしかありません」「もちろん憲法や法律に合致しています」と、数々の「わかっているはずです」という言葉が、これでもか、これでもかと投げかけられます。それらを聞けば、焦って「はい」とか「いいえ」とか答えてしまいそうです。「私はよくわかりませんから、わかりました、おっしゃるとおりです」みたいな、それこそ、わけのわからない答えをしてしまうかもしれません。

 けれども、そうしたときは、ともかく一息入れて深呼吸しましょう。焦ることはありません。世界中のみんなが走り出したから走る、というのは、説得力がありません。みんなで落とし穴に落ちてしまうかもしれませんよね。ですから、「これしか選択肢はない」「時間がない」という脅し文句にもめげずに、「わからないのでちょっと待ってください」と言ってみましょう。一度使うと、時間が稼げることにびっくりします。だって正当な要求なのですから。首相なら、与党なら、私たちが判断する材料をもっと提供してください、そのための説明の場や話し合いの場を設けてください、選挙をしてください、と要求して、ちっともおかしくないのです。それどころか、民主主義の重要な権利なのです。

 戦前の日本とは違って、今日の日本は民主主義国家です。ということは、私たちの選挙で選ばれた政治家の構成する政府が決定したこと、外国に約束したこと、実施したことには、政府だけでなく、国民にも責任があります。政策を決めた後、結果は国民に降りかかります。それに対して、「知らなかった」「わからなかった」「だまされていた」というような言い逃れはできません。ですから、よく考えて決断する必要があります。とんでもない結果責任を引き受けさせられてから悔やんでも仕方ありません。その前に、しっかりと考えましょう。

 (引用終わり)





ふしの川清流の会